三百坊とは
西暦708年、行基は
『瀧山は仏の魂の宿る山』と位置づけ、
岩波の石行寺に参拝所として
観音堂を建立した。
西暦852年、慈覚大師は瀧山山頂に
瀧山大権現を奉り開山した。
瀧山( 霊山寺) を中心に、みちのく一の
修験場になる。
瀧山はあまりの隆盛の為1258年
鎌倉幕府に閉山を命じられここに
歴史を閉じる。
当時300の坊舎が立ち並んでいた
ところとも、また300人もが一同に
宿泊できる大きな宿坊が
あったところとも、伝えられています。
この場所を、称して三百坊と呼ばれている。
1148年頃、
西行法師は、流刑の僧の安否を探る為に
再度三百坊を訪ねる
たぐひなき
おもいいではのさくらかな、
うすくれなゐの花のにほいは
この地三百坊( 地名・堂庭) の
桜の様子を詠んだ和歌。
桜を多く詠んだ作品の中でも優れた
作品とされている。
四季がもたらす蕎麦の風味
春は桜にはじまり
夏は新緑・紫陽花に渓流のせせらぎ
秋は澄んだ空に映える紅葉
冬は静寂と水墨画の世界
建物について
この建物は一九七二年、山形県大江町勝生(かつおえ)から移築された。
かつて当主であった小林家は現在十九代目に至る歴史ある家系で、五五〇年の長きに渡り庄屋陣屋として三代の将軍に命を受け貢献した。
その後、役目を果したこの建物を土谷氏がこの地に移した。当店の店先にある梅の古木は建物と一緒にここに移したものである。
通常、梅の寿命は二五〇年程とされているが、小林家と歴史を共にしてきたこの古木は四三〇年以上とされ、樹齢は日本で屈指の古木とされている。
また、この庭の造園にあたってはエコーライン工事の再、蔵王石を運搬し、三〇〇〇坪の敷地に配置し、植栽した。
春は古木の梅の花に始まり二十数本の大山桜、つつじ、うらじろと彩りを添え、
夏は新緑紫陽花に渓流のせせらぎ。
秋は澄んだ空に映える紅葉。
冬は雪にしみこむ静寂と水墨画の世界。
四季折々の味わいがございます。